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アイカ現代建築セミナー

第62回 現代建築セミナー THE 62TH AICA SEMINAR IN CONTEMPORARY ARCHITECTURE

テーマ: 「この場所にしかない建築」 
講 師: 伊東豊雄(伊東豊雄建築設計事務所代表) (略歴
会 場: 2016年7月8日(大阪)
2016年7月11日(東京)

「この場所にしかない建築」

今日は暑い中、こんなにたくさんの方に来ていただき、ありがとうございます。
今日は、「この場所にしかない建築」というテーマです。
建築は必ず地面、大地の上に建っています。その大地は世界中、必ず場所が違いますね。それなのにどうして世の中、同じ建築がどこにでも建つと考えるのでしょうか。本当は、この場所だったらこの建築しかありえないという建築のはずではないでしょうか。
そういうことで、私がつくった建築もいくつか出てきますが、具体的な説明というよりは、そういうものを通して私が建築でどんなことを考えているか、というお話ができればと思っています。

桜が咲くと日本の人は今でも花見をします。そうすると花見をする場所を選びますね。最近はどこの花見もすごく人が多くてそんな余裕がないのかもしれませんが、水はけがいいとか、きれいな桜の下とか、風通しがいいとか、いろんな条件で場所を決めます。建築をつくるということは、もともと場所を決めることからはじまったと言われています。
桜の下で幔幕をめぐらせて花見をする。これが私にとって理想の建築の姿です。何もない自然の中に幕を一枚めぐらせるだけでここが特別な場所に変わる。そしてそれがなくなると、もとの自然に帰る。幕をめぐらせた中で一時の宴に興ずるというのは素晴らしいと思っています。
私の小学生時代の写真をお見せします。左から3人目の坊主頭が私です。右側が父親で左が母親です。長野県の下諏訪町という田舎で育ち、中学生までここにいました。まだ戦後の貧しい時代ですから、質素な花見をしていましたが、父はお酒も飲まないので、食べものもほとんどないような花見です。
なぜこんな写真を出したかというと、少々わけがあります。私の家はこの諏訪湖に面していました。1993年に完成した「下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館」は、諏訪湖が少し埋め立てられたので、その埋め立て地にできています。私は家の庭から毎日湖を眺めてトンボを獲ったり、ヤゴを捕まえたり、そんな少年時代を過ごしていました。学校には、この博物館の後ろの国道を通ってバスや歩きや自転車で通っていました。
ここに諏訪大社という神社があります。諏訪大社は諏訪湖を挟んで上社と下社があり、それぞれに二つの神社があります。下諏訪町には下社があり、春宮、秋宮という神社があります。この神社には本殿がありません。親しい建築家である藤森照信さんは上社に近いところで育ちました。皆さんも今年の4月にテレビでご覧になったと思いますが、この諏訪大社に、日本三大奇祭の一つと言われている7年に一度の「御柱祭」があります。
それぞれの神社に御柱と呼ばれる直径1mの柱が4本立っています。これを7年に一度建て替えます。上社と下社がそれぞれ8本ずつの柱を山から伐り倒し、それを曳いてきて途中で急斜面を落とし、最終的には町の中を曳いて最後に立てます。
現地の人々は、お祭りを待ちながら暮らしていると言ってもいいくらい楽しみにしています。僕の小学校の同級生で、毎回この御柱に乗ることを大変名誉であると思っている人がいます。同級会の際に彼が、前の晩に白装束で禊ぎをして、いつ死んでもいい覚悟で行くんだ、と言うと周りの同級生は皆真剣に聞いてしーんとなってしまう、というくらい地元の人にとって重要なお祭りです。
私も小さい頃に見ましたが、その後なかなか行く機会がなくて、今年何十年ぶりかで訪れました。「木落とし」と言われる、一番危険な柱が落ちてくるところを見ましたので、携帯で撮ったムービーをご覧下さい。35度くらいの傾斜を2時間3時間待ってようやく落とすのです。
この「柱」は、縄文の頃から日本人にとっては大変シンボル性があります。特別な意味をもっていたわけです。諏訪大社の4つの神社には境内の四隅に4本の柱があるだけです。それで本殿がなくて、あとは木に囲まれて山、森しかありません。この4本の柱の中に神が宿る。その本殿がないということが、私にとって非常に魅力的なことなのです。

「せんだいメディアテーク」 2001

柱の間に場所をつくるということは、いつも考えていることで、例えば15年前にオープンした「せんだいメディアテーク」。チューブと呼んでいる13本の太い柱(1995年のコンペティションのときは12本)、これが50m四方の平面の中に置かれていて、7層のフラットな薄い床が、この柱によって支えられている。それだけをコンペティションで提案しました。
出来上がったものは、チューブと呼んでいる柱の間に、地上階ではコーヒーショップや300人くらいが入るオープンなギャラリーホール、店舗、上にはライブラリーやギャラリースペースなど、さまざまなスペースがおなじ平面のフロアの中に置かれており、壁は最低限しかありません。
大地から木が生えてきたような柱が、ただ地上に立っているのではなくて、大地の下から生えてきたような上昇する柱をつくりたかったので、チューブの中に入ると渦を巻いているようなスパイラル状の柱がつくられています。
これを簡単な模式にすると、樹木が地下から13本這い上がってきて、その間にいろんな場所ができる。そこを人が流れていき、風がながれていくようなイメージでこの建物をつくりました。

陸前高田の「みんなの家」 2012

「みんなの家」は2011年の東日本大震災以降、三陸地方の3県にまたがって、妹島和世さんも一緒に手伝ってくださって、現在までに15軒できました。このプロジェクトの初期に岩手県の陸前高田に「みんなの家」をつくりました。この町出身で著名な写真家である畠山直哉さんが撮った被災地の写真を紹介します。津波に遭ったあとの5月2日です。
陸前高田は皆さんご存知だと思いますが、広くてフラットな平地が広がっており、その山裾にこの「みんなの家」がつくられました。19本の柱で支えられた家です。現地の人から山裾にある杉の木が、塩を浴びて立ち枯れしていると聞きました。それを使って「みんなの家」をつくろう、つまり死んでしまった木を、まだ構造的にはしっかりしているからそれをカットしてもらって再生させる。そういうシンボリックな意味をこめました。
この「みんなの家」は、平田晃久さん、乾久美子さん、藤本壮介さんの若手建築家との共同設計で進められました。

「熊本地震」 2016

支援というほどのことではありませんが、東北でようやく僕らのやることはなくなったかなと思っていたとき、今年の4月に熊本で大きな地震がおこりました。皆さんもテレビや新聞などでご覧になったような光景が展開されています。私も現地に駆けつけて見て歩きました。
熊本とはいろいろな関係があります。細川護煕さんが県知事をされていた1988年に「くまもとアートポリス」というプロジェクトがはじまりました。磯崎新さんが知事から指名を受けてコミッショナーになりました。コミッショナーが設計者を推薦するというシステムです。今は4代目の蒲島郁夫知事。4代にわたってこのプロジェクトが続き、90近い建物が「アートポリス」の指名によって完成しています。
私はその初期に、八代市の博物館で指名していただきました。私が47歳のときで、最初の公共建築の仕事でした。それが契機となって日本の公共建築のコンペティションに参加できるようになりました。
現在私は3代目のコミッショナーをしており、この「アートポリス」で熊本地震の支援ができないかと取り組んでいます。明日も熊本に行きます。熊本城に関しても、石垣が全体で52箇所崩れてしまった。これをなんとかして再建しなくては。これは非常に大きなプロジェクトですから、細川さんから相談を受けて、どのようにして再建したらいいかを検討しているところです。それはともかく、「アートポリス」では、「みんなの家」をまたつくろうとしています。
東日本大震災の時、被災した場所に「アートポリス」で「みんなの家」を贈ることができないかと蒲島知事に相談すると、それはすごくいい話だからぜひやりましょうということで、仙台市宮城野区の「みんなの家」の材木をすべて提供し、建設資金も出してくれました。「アートポリス」としては県外での初の事業として、「みんなの家」第一号をつくったわけです。翌年2012年に熊本で大雨の災害があったときには、阿蘇市の仮設住宅の中に「みんなの家」を2軒つくりました。
今回の熊本地震では、7〜8月までに約3,500戸の仮設住宅をつくろうとしていますが、そこにアートポリスで約70戸の「みんなの家」をつくろうとしています。仮設住宅も戸数に限界がありますが、できるだけ木造にしたい。すぐに木造で調達できるのは100戸くらいということで、熊本空港の近くの西原村に、木造の仮設住宅とコンテナ型の仮設住宅が完成し、またすでに何軒かの「みんなの家」も完成しています。
とりあえず建築はできていますが、中に入る椅子やテーブルがない。そしてこの敷地内に花壇をつくったり、できれば桜の木を一本ずつ植えたいと考えています。それで実は今日、受付に募金箱を置かせていただきました。皆さんのご協力によって少しでもこの環境をよくし、東北復興の際の仮設団地よりもう少しよい環境にしたいと考えています。
できあがった「みんなの家」を明日何軒か見て歩きます。被災した方達もすでに住みはじめていると思います。そしてこれからスタンダードな「みんなの家」だけではなくて、地元の若い建築家のアイデアを入れた「みんなの家」もつくっていきたいと思います。

ここから先が今日の本論です。
私が尊敬し、親しくしている宗教学者の中沢新一さんが33歳のとき(1983年)に書いた「建築のエチカ」という文章があります(『雪片曲線論』中公文庫)。彼はチベットで修行をしていたときに、密教寺院がどのようにつくられるかの話を書いています。そこからいくつか文章を引用させていただきます。

(引用)
チベット仏教の人々は大地には地神(サ・タク)が住むと考えた。
地神は毛髪と下半身が蛇で上半身と顔の美しい少女の神である。
地神は母親の抱擁力と少女の気まぐれを併せ持つ。
地神は渦を巻くおびただしい蛇の毛髪をいただき、
下半身にはウロコをおびた蛇の身体が妖しくくねっている。
自然はいつもうねるように渦を巻いている。
自然は通常季節や時間など宇宙の運行に従って変化しているが、
人間の期待通りには進行しない、局所的なカオスをはらむ。
人間がいくら平穏な秩序を望んでも少女の気まぐれによって不安定で、
時として荒れ狂う。

例えば、水は渦を巻く。あるいは貝、人間の骨だってねじれているでしょう。川がなぜまっすぐに流れずに蛇行するのか。断面方向から水を見ると、流れは渦を巻き、土を削り取って蛇行する。まさしく蛇が動くように川ができています。自然のシステムは人間がつくるものとはかなり違いますね。人間は巻貝や蜂の巣の美しさにほれぼれとするものの、建築は人間の作るものとして自然に同化しきれない。ですから人間が、巻貝が美しい、蜂の巣が美しいと思っても、人間がつくるものは幾何学でしか作れない。
実は国立西洋美術館が世界遺産になるということで、久しぶりに訪れてきました。ル・コルビュジエは、若い頃からスパイラルを描くパターンで美術館をつくりたい、ということをずっと考えていました。1950年代になってインドに2つと上野に1つの美術館をつくっており、いずれも渦巻き状にはなっていますが、正方形の中におさまっています。
生物や植物は開放形になっていないと成長できないわけですが、建築は開放形になってしまうと、構造的にうまくできない、ということもあり、正方形の中におさまっているわけです。
言ってみれば人間が作るグリッドは、必ず何らかの幾何学でつくらざるを得ない。一方で大地の神様はいつも渦を巻いている。この間にパラドックスがある。でも西欧の人たちは、人間が渦を巻いているような混沌とした自然の中に幾何学を発明して、幾何学で建築をつくることは誇るべきことだ、と考えてきたのです。今日われわれもそう考えている節がありますが、チベットの人たちはそうは考えなかった。建築をつくることを誇るのでなく、地神に許しを乞うと言うのです。僕はチベットに行ったことがないのですが、チベットの密教寺院の写真を見てみましょう。
チベットの人も荒地、自然の中に、やはり幾何学で建築をつくらざるを得ない。しかし、内部に入ると幾何学とは違った空間が表現されています。地下で渦を巻いている自然がそのまま内部に展開されるというわけです。
中沢さんは、チベットの密教寺院の内部に入ると、自然のプロセスと人間の建築物との対立に異変が生じている、人工物の外部にあったはずの自然が寺院の内部に連続しているような錯覚にとらわれる、その感覚は母親の胎内にいるようだ、と言っています。
この内部の空間は、揺らめく灯明の光、油の匂い、そしてその中に塒を巻いている龍の彫刻、そして仏像に当たる怪しげな光、それらによって、外とはまるで違った空間が展開されているのです。内部空間は、視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚のすべてを巻き込んで母胎にいるような不思議な抱擁力で包み込んでくれる。それは非常にゴージャスだ、感覚の快楽だと中沢さんは言っています。
今、私は薬師寺の食堂(じきどう)を再建しています。薬師寺は東塔も今、解体してつくりなおしていますが、東塔だけは創建時のもので、他は全て建て替えられています。この食堂、かつてのお坊さんの食堂ですね、これが完成すると薬師寺は全ての伽藍が完成したということになります。基本的に外側は昔の建物どおりにつくらなくてはいけないのですが、そんなに大きな材木が手に入らないということもあり、鉄骨造にして、内部はかなり自由度があるということで、その内部空間、特に天井のデザインをしています。
内部には日本画家の田渕俊夫氏によって6m×6mの阿弥陀如来の絵が描かれ、そこから光背が天井に広がっていくようなデザインをアルミの切り板でつくろうとしています。普段ここはかなり暗い空間で阿弥陀如来の絵とその周辺だけが暗がりのなかに淡く浮かび上がります。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』のような空間をイメージしています。今月上棟式が行われて、来年には完成する予定です。

また「建築のエチカ」を引用します。ここがすごく重要です。

(引用)
チベットの人々は人間の精神の作り出すものが自然に対する優位性を誇るのではなく、自然から祝福されたものでありたいと考えた。

西欧的に言えば、こんな素晴らしい建物が自然の中にできるんだ、人間はすばらしいということを誇ります。チベットはそうではなくて、自然から祝福されるものでなくてはならない、と考えたわけです。

(引用)
チベットの人々は建築を建てるために無神経に森や土地を切り崩し、均質に地ならしをして自然を圧倒し、抑圧してしまうのではなく、自然のルールに従って選び出した大地を借りてさまざまな力を結集して建築が建てられなくてはならないと考える。

「陸前高田」

陸前高田を思い起こしてみます。これが上空からの被災前の写真です。山裾に先ほど紹介した「みんなの家」が建てられました。海に面した海岸端に千本松と呼ばれている話題を集めた松の林がありました。そしてその奥に広大な陸前高田の町の主要な部分は、ほとんどここに集中していたわけです。それが津波の後、完全に洗い流されてしまって、そこに防潮堤をつくろうとしている。10mくらいの高さの防潮堤をつくろうとすると、防潮堤の足下は80mから100mくらいの大断面になります。まるでピラミッドをつなげていったような断面になるわけです。先ほどの「みんなの家」は3分の1くらい埋まってしまう。
こうして、かさ上げをする、土を入れるために山をカットする。チベット人の考えているのとおよそ対照的なことをやっているわけですね。しかもわれわれによく分からないのは、膨大なかさ上げをするにもかかわらず、ここには人は住んではいけません、商店街は認められます。住居は高台です。津波にあった町はいずれもほぼ同じような復興をしています。
そのために巨大なベルトコンベアーを作って、山の膨大な面積をカットして、膨大なかさ上げをしています。今行くと、砂漠のような土地がここにつくられています。このエリアでは8月7日に「けんか七夕」という祭りを行っていました。被災後何もなくなった町なのに、七夕のお祭りだけが昔の道を辿って行われているのを見て涙をながしたのですが、今はその道すらなくなってしまって、全くの白地図になってしまったのです。歴史、あるいは場所性が失われてしまう、そういう近代主義的な復興に私は疑問を持っています。私にとって建築をつくるということは、渦を巻く自然のシステムとわれわれがどうしても幾何学でしかつくれない建築との間に、どんな折り合いをつけたらいいか、それが一番興味のあるテーマです。それをこれからいくつかご紹介したいと思います。

「みんなの森 ぎふメディアコスモス」 2015

これは1年前の7月18日にオープンした「みんなの森 ぎふメディアコスモス」です。東日本大震災が発生する1ヶ月前にコンペティションの最終審査が行われました。2階建てで、隣に白く見えているのが、元の岐阜県庁です。今はもう移転しているので前の一部だけが残されています。屋根は波のようにうねっていて、その真上に小さくお城がみえます。信長の居城だったお城です。金華山の山並みに、屋根ができるだけ調和するように考えました。
この建築の最大のコンセプトを話します。長良川の豊富な伏流水を汲み上げて、そこで多少の温度調整をし、1階2階のコンクリートの床に流します。つまり、床の輻射冷暖房をします。それだけではなくて、この建築は壁が極めて少ないので、そこから上がってきた冷気、あるいは暖気を自然の力でゆっくりと循環させて、最後に一番高いところから夏は排出する。冬はその開閉装置を閉じて、「グローブ」と呼んでいる大きな傘の中で巡回させる。「グローブ」の下が一番読書にふさわしい場所になっています。さらに、その周辺は上から入る自然光を柔らかく下に届ける。屋根のフラットな部分では太陽光を利用するといったように、できるだけ自然エネルギーに頼った建築を考えました。
コンペティションの段階から消費エネルギーを従来の同規模の建物の2分の1にするという目標を立てて、この1年間の測定結果では50数%以上削減という測定結果が出ています。
もう一つの特徴は、屋根を地元のヒノキでつくることです。通常なら集成材で曲面をつくるのですが、コストを下げ工期を早めるために、厚さ2cmの床に貼るような薄い板を、互い違いに三方向に60度の角度で重ね合わせながら屋根の形状をつくっています。まず合板で下枠をつくって、その上に重ねていくわけですね。柱の近くは、層が厚くなって、三方向あわせると21層42cmの厚さの屋根になっています。これをドローンで撮った写真があります。密度の濃いところが柱の位置ですね。高い部分にいくと曲げモーメントが小さくなるので半分くらいの薄さになっています。この上にもちろん断熱層があり防水層があって、上からはこの屋根の形状は見えなくなっています。頂部には、上下に開閉装置が稼働するシステムが作られています。
1階の平面図です。東西方向90m、南北方向80mという大きな平面をもっています。中央部にはガラス張りの閉架書庫、右側には約200名収容の多目的ホール。その南に展示室、閉じられたギャラリースペースと、円形のオープンギャラリースペース、これは開くと外部につながっています。南西にはレストラン、さらに西側には長さ約250mの並木道が新たにデザインされました。週末は賑わっています。
閉架の書庫と並木道の間には市民活動交流センターがあり、この施設の特徴的な場所です。オープンカウンターがあって、その内側に20人くらいのスタッフが常時座っていて、市民からの相談や活動の要望に応じています。会議室、スタジオ等もあります。並木道と一体となったイベントもできるようになっています。正面中央がメインエントランスで、ここから入って正面の階段とエスカレーターから2階のライブラリーに上がることができます。
1階のオープンギャラリーでは子ども向けのイベントも行われています。市民活動交流センターの一部は、学校帰りの子どもたちがしゃべっていたり、お年寄りがお弁当を食べていたり、かなり自由なスペースです。
1階から「グローブ」に吸い込まれるようにエスカレーターで2階に上がっていきます。2階に行くとヒノキの香りに包まれます。ここに11個のいろんな「グローブ」がぶらさがっています。「グローブ」の周辺から自然光が落ちてくる様子がムービーからご覧いただけると思います。また、「グローブ」にパターンが描かれていますが、これは一つずつ違ったパターンで、サインにもなっていると同時に、光あるいは空気の透過度をコントロールしています。これをつくるのは相当に大変でした。布の上にパターンを一枚一枚貼り付けてつくられています。大きなものが直径14mですから、かなり大きいですね。そして12m、10m、8mと全部で4種類のサイズの「グローブ」があります。
これは天井の頂部から吊られていて、グラスファイバーでできたテンションリングが何本か水平に通り、その上にポリエステルのカバー、さらにその上に半透明の布をかぶせてできています。この「グローブ」の下ではさまざまな読書空間が展開されています。
「グローブ」の傘の下の読書空間は11箇所あります。児童のグローブと親子のグローブ、ブラウジンググローブは長いソファに座って本が読める場所、その他に勉強ができるグローブもあります。中央部に近いところに、図書にかかわる企画展示ができるグローブもあります。周辺部には外部に向かってカウンターが各方向に続いています。
もう一つ特徴的なのは、外の広場に面して屋根の掛かっている大きなテラスがあり、西側には西日を避けるための奥行き3mの長いテラスが続いていて、ここも並木道の緑を見ながら本を読むことができます。そして金華山テラスと呼ぶ、信長の居城を眺めながら本が読めるスペースも人気です。外部の風を感じながら読書ができるスペースがある図書館は珍しいと思います。
木造の屋根に関しては、直下には本などの燃えるものばかりなので、確認申請の最終段階の大臣認定で待ったがかかり、国交省の内部で議論になったようです。最終的には、籐の椅子に見えるソファも、インドネシアでつくられた人工的な不燃の素材です。書架も燃えひろがってはいけないということで、真ん中の背板がプレキャストコンクリートでできています。棚板は不燃の木材で、鉄板と組み合わせて、本は燃えてもそこから燃え広がらない、ということでようやく許可が下りました。
南側のブラウジングテラスは広場に面しています。かなり自然に開かれた建築をつくることが出来ました。

「新国立競技場 B案」 2015

われわれのB案で何をやりたかったかを、簡単に紹介します。
明治神宮の外苑にこのスタジアムがつくられますが、明治神宮は外苑、内苑という2つの森で成立しています。内苑は明治神宮があり、日本の伝統を象徴する、本殿を隠蔽するような深い森です。100年経って鬱蒼としたみごとな森になりました。それに対して外苑は、逆に、大地からエネルギーが外に噴出していくような明るい森です。ここにスポーツ施設や絵画館のような西洋的な建築がつくられました。明治天皇が崩御されたときに、お墓が桃山に行ってしまうことを東京の人が惜しんで、何か記念になるものをつくりたいと考えました。
明治天皇は、日本の伝統を継承し、一方では近代化を推進するリーダーでもあったので、それが外苑と内苑の2つの森に象徴されているのです。いま100年が経過し、これからの100年に向かってこの2つの森をどうしていくべきか。そのことがこのスタジアムをつくる最も本質的な問題だったと思います。
われわれは、72本の木の柱で一番大事な部分を支えるという提案をしました。
日本らしさの表現や木の利用が国交省主導の応募要項で問われました。ところが、オリンピック時に68,000人、その後サッカーのワールドカップを呼ぶためには80,000人を収容しなさい。そんな大きなスタジアムを木造でつくることは不可能です。そこで、木をどのように使うかが問われたのです。われわれも最初、A案と同じように天井のルーバーに木を使うしかないと思いました。しかし、天井に雨が直接かからないといっても、屋外のスタジアムの天井は1年も経たないうちにグレーに変わってしまいます。先ほどの、「ぎふメディアコスモス」でインテリアに木を使ってすら1年で色が変わってきます。ましてや屋外ですから、オリンピックのオープニングではグレーになっているでしょう。「それは陰惨だよね」という話になり、どうやったら木を使えるのかを検討した末に、結論に至りました。
ボールと呼ばれているフィールドとスタンドがあって、そのスタンドは完全に屋根で覆うようにという条件でしたから、できるだけ軽い屋根で空中に浮かんでいるような屋根をつくりたい。それらを72本の純木製の柱で支えようという構想です。
われわれは72本の柱に囲まれ、そこから大地のエネルギーが吹き出してくるようなスタジアムをつくりたかったのです。力強さ、ダイナミズムを表現したいと思いました。
天秤トラスと呼ぶトラスで、観客席の最先端まで最大65mくらいの巨大なキャンティレバーを支えなくてはならない。そのために柱の頂部を支点にして、外側の端部をスチールのパイプで引っ張っているのです。その支点になる一番重要な柱、木造の家だと大黒柱に相当するところを、この柱で支えようと考えたのです。
幸い、一緒に組んだ竹中工務店だけが、「燃えんウッド®」という純木製の柱の1時間の耐火認定を取っているということで、断面が最大1m50cmとういう巨大な柱で支えようということになりました。これは国産のカラマツの集成材でできていて、その外に燃え止まり層(モルタルの層)を入れて、その外側に6cmの燃え代層。火災にあってもこの層で止まります。さらに一番外側に、耐候層つまり傷やカビ、あるいは変色に対しても、5cmまでは削ればもとのきれいな柱になるという提案をしました。
この提案をするまでに、竹中工務店の上層部からは、こんな重要なところに純木製の柱を使っていいのかという指摘を受けましたが、竹中工務店の構造や意匠の人たちが、二重三重四重に保護をするという提案によって、ようやくOKが出ました。
われわれは和風とか言いたくはありません。そうではなく、縄文までさかのぼれば、日本を越えて朝鮮半島や中国などアジアにつながっていくものこそが真の日本らしさであり、木を使うことの意味ではないか、と考えたのです。
一方スタンドは、大地の赤がフィールドから観客席に伝わって、ゆるやかに白に変わっていく、そして空に抜けていく、そういうスタンドを提案しました。
アスリートが大地からのエネルギーをもらって、そのエネルギーが観客席に伝わって次第に空の白さに溶けていく、というスタジアムです。
オリンピックで競技が行われるのはだいたい夕方ですから、夕方から夜にかけて、プロジェクションマッピングあるいは照明によって、浮遊するような天井全体がスクリーンになる、そんなスタジアムにもしたいと考えました。

「バロック・インターナショナルミュージアム・プエブラ」 2016

メキシコのプエブラという都市に最近できたバロックのアートをテーマにしたミュージアムです。16世紀にスペイン人がメキシコに入ったときに、彼らはピラミッドを壊して教会を建て、現地の人達をキリスト教に改宗させようとしました。このプエブラはメキシコシティから3時間くらい南東に下った内陸の街ですが、そこにはバロック時代のメキシコの教会がいくつもあります。
面白いのは、教会の中がチベットの密教寺院みたいなのです。つまり、改宗をさせるために現地のインディオの職人を使って内部の装飾がつくられていることです。黒いマリアや黒いキリスト像のまわりに、素朴なエンジェルや植物の装飾で内部が覆われています。細部を見ると素朴でかわいらしい彫刻です。このようにプリミティブなインテリアからすごくエネルギーをもらうような気がして何度も見に訪れました。
そこでプエブラの街に世界のバロックをテーマにしたミュージアムをつくるからと仕事をいただきました。工事に入るまでは何年かかかりましたが、いざ工事に入ったら1年足らずで完成しました。
プエブラの街の中心から数キロ離れた、エコパークと呼ばれている新しい公園の中に、水の中から植物が立ち上がってきたような、曲面の壁の集まりでできています。
高さが15mもある壁はプレキャストコンクリートでできています。プレキャストコンクリートといっても、両サイドをプレキャストでつくって、その間を鉄筋で結び、中に現場でコンクリートを打っていくという方法です。メキシコは日本よりもプレキャストの技術は発達しているかもしれません。運搬可能なサイズで縦方向は15mのプレキャストコンクリートのパネルが組み合わされています。
ここで、どんな幾何学で組み合わされているか、ムービーをご覧下さい。
まずグリッドをつくる。多少サイズを調整します。そしてグリッドをゆがめていくと間に小さな正方形ができます。そしてその壁を内側、外側に曲げていく。構造的に両サイドを曲げると強くなりますから薄い壁でできます。
幾何学を変形していきながら、大地がもっている有機的でダイナミックなシステムに近づけていく。人工物と自然の間に折り合いを付けるのです。
本当に薄い壁に見えますが、厚さは36㎝です。中庭の噴水も渦を巻いています。
現代の美術館は、ホワイトキューブと呼ばれる四角い箱がつながっていて、その間に開口部を開けて、1つの部屋から次の展示室に移っていきます。しかしここでは、展示室と展示室の間に四角い小さな空間をつくることによって、その緩衝地帯に1回入ってから、水が流れるようにカーブに誘われて次の展示室へ入ります。
そうした流動感のある建物をつくりたかったのです。それにともなってさまざまな部分が曲面になっていきました。
このミュージアムではプエブラの教会も紹介されていますが、その他に世界の音楽や演劇、文章と、いろんなジャンルにわたって、部屋ごとにバロックとはどういう時代であったのか、どういう意味をもっていたのかが展示されているのです。
1年足らずでミュージアムはできてしまいました。去年の12月は最終段階で、現場を訪れてみると、ライトアップされて、職人が1,000人くらいいるのです。しかもみんな子どももお母さんも一緒に家族連れでいるのです。働いているのか遊んでいるのか分からないですが、僕たちが歩くとみんなついてくるのです。日本の現場では想像もつかないような風景で驚きました。現場のきれいさとかでは、はるかに日本に及ばないけれども、人間らしいというか、活気を感じて楽しい気持ちになりました。そういうメキシコが僕は好きで好きでしょうがないのです。貧しいけれども、自由で人間が人間らしく生きている場所だと思います。
緩衝地帯には、横から光が入ってくる場所もあれば、中庭が見える場所もあります。
今日、国立西洋美術館に久しぶりに行って展示室を見ていると、ホワイトキューブではなくて、ちょっとしたテラスがあって、文化会館が眺められたり、吹き抜けの空間が眺められたり、常に変化があって、絵だけを見ながら進むのではなくて、間にそういう場所があるのはすごく救われる気持ちがしました。均質できれいな光のある美術館ばかりを今の人たちは考えますが、別の展示空間のあり方もあり得るのではと思いました。

「台中国家歌劇院」 2016

最後に紹介するプロジェクトは、国立のオペラハウス。10年がかりでようやく今年9月末にオープンする見込みがたちました。
大きな公園の中にあって、周りはマンションに囲まれています。公園は既にオープンしていて、特に夜は涼しくなるので多くの人で賑わっています。
この建物の構造体は不思議な形をしています。これを全部現場打ちのコンクリートでつくるという、気が遠くなるような工事をしました。「せんだいメディアテーク」のチューブは縦方向だけに通っていましたが、ここでは水平方向にも垂直方向にもどこまでもつながっていくチューブでこの空間ができています。まずその幾何学を決めていく様子をムービーでご覧下さい。
グリッドからスタートして、これを五角形、六角形、七角形に広げて、各階少しずつ形を変えながら垂直方向に結んでいくと、立体ができます。それをスムーズにしていくと、完成した構造体になっていきます。非常に複雑に見えますが、水平のチューブ状の梁とチューブ状の柱でつくられていると言えばいいでしょうか。ただ、内部のプログラムにあわせて拡張したり縮めたりしていますから、実際には同じ場所が2つとありません。
断面のムービーを見ていただくと、長手方向の断面を10cm刻みでカットして連続させると、随時断面が変わっていきますから、流動体のようなCGになるのです。大きなチューブ状の柱、梁でできているのが分かると思います。
右側の方に赤い椅子が見えて来ますが、ここがグランドシアターと呼ばれる、2,000席のオペラができる劇場。ブルーに見えているのがプレイハウスという800席の中劇場。そして地下にブラックボックスという200席の小劇場の3つの劇場と練習室、レストラン、オフィス等が組み込まれています。
では現場でどうやってつくったのかをムービーで見て下さい。これは本当に大変です。数人のスタッフが何年も常駐しました。手取り足取り、足場の図面までわれわれが描いてようやく実現しました。
まず足下にある工場で、鉄板を敷いて2次元のトラスをつくります。少しずつ変わっていく断面形に沿って、20cmの間隔で縦方向のトラスを並べて3次元曲面のユニットをつくっていきます。同じ作業の繰り返しですが、曲面が全部違うので気の遠くなるような作業です。これはトラスウォールユニットという、日本の旭硝子ビルウォールが開発したシステムです。もちろんこんな大規模な工事でつくったことはないので、指導していただきました。
それぞれ足下で組み立てたユニットを現場で吊り上げて据え付け、お互いのユニットを結びつけます。そして両サイドに二重のメッシュを張ります。網の目が細かくコンクリートが流れないメッシュと構造的にしっかりしたメッシュをダブルで組み合わせて張るわけです。現場でコンクリートを流し完全に乾ききる直前にメッシュを剥がし、構造体ができ上がります。その上にモルタルでならして吹きつけをして仕上げです。
水平、垂直いろいろな方向から光や音が伝わってくるような白い洞窟です。1階は床がフラットですが、上のほうにいくと床も少し波打っていきます。3階のホワイエ、大ホールに入る前の空間は、先ほどの「ぎふ」と同様に、デザイナーの藤江和子さんに家具をお願いして、ほぼ出来上がりました。曲面壁の間を縫うように階段を入れていくのがなかなか大変でした。床、壁、天井の区別がない建物です。
オープン前の8月27日、上階にあるギャラリースペースで、私の映像展示をすることになり、先日そのリハーサルをやりました。そのムービーをちょっと観て下さい。
床に大きなクッションが30個置かれてその上にみんな座って、あるいは寝転がってこの映像を見ていただきます。台湾の作曲家が周辺の自然環境から音を集めて、それを編集した音が流れるようになっています。寝転がっている人の上にも映像が覆い被さっていくような展示です。
3次元の曲面の壁や床、天井に映像が写し出されるので、8台のプロジェクションからの映像がことごとく歪んだ映像になっていきます。ご興味があったら観に来て下さい。
劇場は、9月30日に大ホール(グランドシアター)がオープンします。この映像は一昨年の暮れに大ホールを1ヶ月間、一般市民に開放した時のものです。
中ホールは10月1日、2日にオランダ在住のピアニスト向井山朋子さんにピアノを弾いてもらい、その周りでダンサーがアバンギャルドな踊りをして、そこに観客も入り乱れて参加するようなパフォーマンスをする予定です。そのステージのデザインを頼まれて、この建物の構造体の一部分を布で作った装置をつくろうとしています。
地下の劇場、ブラックボックスは外の野外劇場につながっています。また屋上庭園も小さなコンサートに使えるスペースです。前庭では夜になると壁にプロジェクションしながら、コンサートをしたり、パフォーマンス、ダンス等がたびたび行われているようです。台湾のプロジェクション技術は、日本よりも優れているので素晴らしいです。噴水のある池もデザインしたのですが、昼間は子供の遊び場になってしまいました。

最後にもう1回水に戻って話をします。
ぼくが今通っているしまなみ海道の大三島(おおみしま)で、住民の人たちと一緒に小さな活動をしています。被災地で考えた「みんなの家」を再現したり、みかん畑をワイナリーに変えるような活動をやろうとして、月に1回程度通っています。幼少期に僕の家の前に広がっていた諏訪湖は、僕にとって鏡のように静かな水、そこを眺めていると心が鎮まります。大三島に行くと、静かな瀬戸内海の水が諏訪湖とつながって心が大変和むのです。諏訪湖より美しい内海がここに展開されていて、特に夕景は本当に美しいです。

これは「建築のエチカ」から引用する最後の文章です。

(引用)
穏やかな水はさまざまな欲望や怒りを鎮め、愚かさに曇らされた心を浄化し、心の自然状態に導く。

本当に心が自由になる、そういう状態に静かな水は人々を導いてくれる。私自身も、その中にいると人々の心が鎮まるような建築をつくりたいといつも思っています。

どうもありがとうございました。

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